「ベッジ・パードン」がよかった

三谷幸喜夏目漱石ロンドン留学時代の芝居をやると聞いて、これは行かなきゃ、と思った。
漱石のロンドン留学時代はちょうどシャーロックホームズの頃で、時代がまず好き。前から一度演技を生で見てみたいと思っていた深津絵里ちゃんがキャスティングされていることと、野村萬斎大泉洋が出ていることも楽しみだった。


『ベッジ・パードン』開演。
劇場に、ジュリー・アンドリュース版の「Wouldn't it be loverly?」(マイ・フェア・レディの中の一曲。)が鳴り響く。この段階で私のハートはわしづかみにされた。
はっと気付く。そうか、この時代はシャーロックホームズの時代でもあるし、マイフェアレディの時代(正確にはマイフェアレディよりはちょっと前か?)でもあるのだった。
大好きなジュリーアンドリュース版の「Wouldn't it be loverly?」を大音量で聴いていたら、もうそれだけで泣けてきてしまった。
「あったかい部屋でゆったりくつろぐのって素敵じゃない?」
「たくさんのチョコレートに囲まれているのって素敵じゃない?」
「大切な人に膝枕をしているの。それってとっても素敵じゃない?」
そんな歌詞が、震災後いまだに沈みがちなハートにじーんときちゃったのね。


劇中は英語台詞と日本語台詞を上手に見せてくれるトリック満載の演出。
英語がうまく話せずに、東洋人差別に嫌気がさしながら生活する漱石と、ロンドン下町出身でコックニー(ロンドン下町訛り)の強い英語を話す下宿先の下女ベッジ、彼らをとりまく人々とのエピソードで場面は進む。
日本語で話していても「たどたどしい英語を話している」とわかる萬斎漱石すごいな、台詞もうまいな、と思った。
テンポも仕掛けも楽しくて、始終大笑い。でも、そんな中にも深く考えさせられるテーマもかくれていて時々ぐっとくる。差別している意識なしに人を差別する人たち。


途中から、憎めないけど金の迷惑と心配ばかりかけるベッジの弟が出てきて、そのやりとりが、超絶ダメ男、でも憎めない弟がいる私にとっては「うちの弟か!」と突っ込みたくなるところ満載。
ほんとにひどい。
でも、同じ状況になった時、最終的に私は彼を突っぱねられるかな…
この姉弟のやりとりは、あの劇場にいたどの観客よりも私は人ごとじゃなく観ていたと思う。そんなバカな、と思うようなベッジの弟に対する態度はすべて理解の範疇だ。


劇中出てくるナレーションは漱石のロンドン時代の日記からの抜粋のようで、作家になるというアイデアさえもっていなかった漱石がロンドン留学を終えて作家デビューに至るまでの裏話といったテイストのストーリーなので、漱石読みたくなったな。終演後。


昔はお芝居でも映画でもパンフレットは必ず買う派だったんだけど、結局買っただけで満足してしまい、ろくすっぽページも開かない自分に気がついてからは買うのをやめていた。
でも、今回は作品があまりにも素晴らしくて、終演後に購入。
売上金はすべて義援金とする、と聞いて、それもうれしかった。
震災後こんなに笑ったのは初めてだ、とアンケートにも書いてきたけれど、パンフを読んだら、この作品を書いている途中で大震災があって、本当はここまでハートウォーミングで笑いに溢れた作品にするつもりではなかったけれど、方向転換をして今の作品に仕上がった、と、三谷さんが書いていて、なんか、彼の想いをストレートに受け取って観ていたんだなあ、と、しみじみ思った。観終わる前にこれを読んでしまったら先入観が生まれて素直に受け取れなかったと思うので、終演後に読んでよかったと思う。


一幕が終わった段階で「可能ならあと3回くらい観たい」と思ったが、終演後は「何回でも観たい」と思った。
席もいい席だったし、個人的な嗜好にあまりにもフィットした作品だったせいもあるけれど、ここ数年観た(といってもそんなにたくさんじゃないけれど)芝居のなかで一番好きな作品だった。


あ、あと、緞帳にロンドン地図が描かれているのもとても素敵だった。


SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 ベッジ・パードン